長良川自然学校設立のお話
そもそも、長良川自然学校を立ち上げる事になったのは・・・
愛読していたBE-PALを読み野田知佑さんに出会い著書を読むようになりました。
「日本の川を旅する」に感銘を受けそんな旅をしたいと思いました。
ということで野田さんの出身地の九州を舞台の映画「青春の門」の織江の唄を
しびれながら聞いてください。
そして東京で就職後休日は全国各地をカヌーとテントを持ち放浪していました。
全国の清流を巡り色んな体験と経験、出会いがありました。
清流のそばには必ず美味い酒、旨い食べ物、面白い人が住んでるんです。
郡上八幡の町も良かったし、川で触れ合う地元の地元の人たちも優しかった。
会社を辞めて1年半程海外放浪をしていました。
カナダのマッケンジー川、アラスカのユーコン川をカヌーで下りました。
海外の北極圏近くの川も面白いのですがやはり大味に感じられましたね。
旅の中で日本の綺麗な川のそばで暮らしたいと思うようになりました。
そして長良川のそばで暮らそうと思い岐阜に越してきました。
でも越してきてから感じたのは長良川の清流の急激な汚れでした。
前に来たときはこんな川ではなかったのに・・・
地元のご年配の人に聞くと昔はもっときれいで鮎も川一杯にいて子供が夕食に
タモですくいに来ていたと聞きました。
なんでだろう?
原因を調べるうちに森の荒廃ということが分かりました。
初めて来たときになかった東海北陸道が長良川沿いに建設が進んで行っていたのです。
ということで森について調べようと学ぶことに。
岐阜市であった森林教室や河川環境楽園の自然発見館に通いました。
そしてもっと森について学ぼうと思い、森林インストラクターという資格を取ろうと
月に一回長野の菅平にあるやまぼうし自然学校に通い学びました。
そして水の循環サイクルの大切さを痛感しました。
長良川には河口堰ができ川と海が全く寸断されよりひどくなって行きました。
岐阜のローカルテレビで前の知事が河口堰の魚道を行き来できない鮎は弱い鮎だけだ、
以前と環境が全く変わらないと力説していたのを観て唖然としました。
こういう私腹を肥やすことしか考えない首長の元で暮らすことがどれだけ
後世に悪影響を及ぼすかを考えました。
清流を守るには森を育てていかないといけない。
そしてそれをもっと伝えていかないと本当の清流は無くなってしまうんです。
一緒に水の循環サイクルについて考えてみませんか?